浦部法穂先生の時効廃止を巡るエッセイが法学館憲法研究所に掲載されました。
http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20100304.html素晴らしいエッセイで、全ての人に読んでもらいたい内容です。
とりわけ、以下の点は重要で、この言葉は何度でもかみしめて
こういった感覚をはやく日本の常識にしてしまいたいと思いました。
まずは事実認識の点において
法制審議会刑事法部会に出された資料によると、これまで、時効完成後に犯人が判明した事件は、把握されているものとしては3件であり、時効完成後に、犯人 が警察に出頭したとか、失踪宣告取消の申し立てを行った、あるいは自白した、ということで判明したものであって、いずれも、捜査の結果判明したというもの ではない。もし時効が廃止されれば、こうしたケースはなくなるであろうと予想されるから、何十年経っても真相は闇の中に置かれたままになる可能性が大き い。永遠に捜査を続ければ必ず犯人を捕らえることができる、などと考えるのは非現実的であり、いわゆる「お宮入り」となる事件をゼロにすることは不可能で あろう。40年も50年も経ってから、何かのきっかけで犯人が判明し捕らえることができるというケースは、皆無とは言い切れないにしても、おそらくきわめ て稀であろう。とすると、時効廃止の実際的な意味は、犯罪被害者・遺族の感情を満足させるという以上には、大きくないといえる。
という点。時効延長がむしろ真実発見の妨げになる可能性があることはとても重要で、多くの人はそんなことを考えてみたことがないのでないでしょうか。
それから近代刑事手続の本質論に関する次の言及。
刑事手続は、犯人を処罰するための手続というよりも、犯人でない人が犯人にされてしまうようなことが万一にも起こらないようにするための手続なのである。 そのためには、真犯人とわかっても処罰できない場合が生じることもやむをえない、というのが、近代刑事法の基本的な考え方なのである。たとえば、憲法は、 一度無罪とされた行為については刑事上の責任を問われない、と規定している(39条)。ある犯罪の容疑で起訴されたが証拠不十分で無罪になったという場 合、後に有罪とするだけの新たな決定的証拠が見つかったとしても、再び裁判にかけられることはない、ということである。つまり、真犯人であるということが わかっても、罪に問えないのである。時効の場合に限らず、そういう「無罪」をも冷静に受け入れることが求められているのであり、このことを忘れた社会は、 権力による暴力的支配にさらされるしかないこととなろう。
この指摘は憲法をきちんと学んだものでないと、なかなか理解されないでしょうが、なぜ犯罪を真実犯したものであっても、国家による処罰権は限定されねばならないのか、浦部 法穂 先生の '憲法学教室' http://bit.ly/aPCzlq などを読んでじっくり考えてみる必要があります。
刑事手続を被害者・遺族の「処罰感情」や報復感情だけを考慮した立法は、国家の刑罰権の強化・肥大化を無反省に賞賛する悪しきポピュリズムそのもので、こういう立法をした鳩山政権は批判されて当然です。将来、恐るべき冤罪事件が生じる予感がします。

